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諏訪山医王院昌松寺(取手市井野)
それ当寺は諏訪山医王院昌松寺と称え、足利中左の創立にて中真天文年中住持印信之有り。
元井野野中(旧大鹿城の北三丁)に在り、大鹿城主太郎左衛門尉の鬼門除けの祈願寺にして、諏訪神社の別当たり故に山号を諏訪山と称す。其の後(時代不詳)井野城の内に移転し「住持賢吽」医王院と称す。又、境内仏堂たりし薬師仏及堂宇は同地の一隅たり現宮地に現存す。
其の後幾多の時世を経て檀徒の多数が徳川時代に泥澤を開墾して再び延宝六年「住持快雄代」檀徒の中心地たる現在の地(井野字前土井)に移転し、堂宇を建立して本尊阿弥陀如来を安置し降て享保十二年「住持宝永代」客殿ならびに大門(台宿大工善兵衛)大日拝殿を建立。隆盛を極め(現存の須弥壇は稲敷郡長戸村女人講中が当時寄進の旨記入有り)旗本本多家の祈願寺たる故を以って(山門に本多家家紋有り)御朱印十石を領したり。
明治六年「三十四世深識代」五月に火災が有り大門を残して他の大日拝殿及び庫裏、客殿、鐘楼堂は焼失してしまい越て、明治十年一つの仮堂宇を立てたが再建ならず、昭和四十一年「住持三十七世亮仁代」に現本堂を再建す。其の後を承けて(第三十八世代)に堂内外の整備、建立、墓地拡張、境内の整備等がなされ現在に至る。(以上説明版より転載)
諏訪山医王院昌松寺は真言宗豊山派のお寺で、総本山は奈良県桜井市にある長谷寺。また、本尊は阿弥陀如来である。相馬大師第83番霊場(安産子育大師)にもなっている。
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 参道                             
諏訪山医王院昌松寺参道諏訪山医王院昌松寺の門
 山門                            本堂
諏訪山医王院昌松寺の山門諏訪山医王院昌松寺の本堂
 
 人形塚
諏訪山医王院昌松寺の人形塚当寺では毎年10月第3日曜日に人形供養が開催され、近隣からいろいろな人が使わなくなった人形を持って集まり、供養とともに焼却されます。それにちなんで塚が建立されました。
 
 水子地蔵尊(たんぽぽ地蔵尊)
諏訪山医王院昌松寺の水子地蔵尊(たんぽぽ地蔵尊)踏みにじられても
      食いちぎられても 
死にもしない 枯れもしない
      その根強さ
そしてつねに
太陽に向かって咲く
その明るさ
わたしはそれを
わたしの魂とする
       真氏 詩
(説明版より)
 
 永大供養霊廟                    手水場
諏訪山医王院昌松寺の永代供養霊廟諏訪山医王院昌松寺の手水場
 
 境内の様子(2景)
諏訪山医王院昌松寺の境内の様子諏訪山医王院昌松寺の境内の様子
 
 庭園の様子(2景)
諏訪山医王院昌松寺の庭園の様子諏訪山医王院昌松寺の庭園の様子
 
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