本古墳は。東葛地区で最大の前方後円墳であり、5世紀代以前のものとしては県北西部(東葛飾郡、印旛郡)で最大の規模を誇ります。
当地からは手賀沼の東西の端が見渡せ、沼沿岸の地域社会を押さえる要地に立地している事が窺われます。
昭和40年に東京大学考古学研究室によって発掘調査が実施され、後円墳頂下から粘土槨(かく)および割竹型木棺の痕跡が発見されました。また棺内からは、刀子(とうす)、針、ガラス玉、子玉、滑石製管玉が出土し、前方部からは和泉式の特徴を示す土師器の壺も出土しました。
古墳の形態、内部施設や出土遺物の特徴から築造時期は5世紀前半から中葉頃と考えられます。(説明版より) |