小林一茶の碑
この句碑は文化7年(1810年)12月23日、一茶がこの寺を訪れたときに詠んだもので「行くとしや空の名残を守谷まで」と記されています。碑は終戦後かつて一茶のもとで俳諧を学んだ守谷市の斉藤徳肥大衛門(若雨)の子孫である斉藤隆三しを初めとする有志によって建立されました。
一茶が俳友の桜井蕉雨とともに、初めてここ下総国相馬郡籠山(こもりやま)の西林寺64世義鳳師(俳名鶴老)を訪ねたのは、文化7年6月14日、一茶48歳のときでした。
それ以来、9回にわたって西林寺を訪れ、時には近在の同志を集めて句会を開きました。(説明板より) |