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念向寺(つくば市若栗)
智光山定正院念向寺と号し、今より千二百年前の大同元年(806年)に七堂伽藍を建立開山されたと伝えられる。当地方を支配した平将門公も寺領を寄進す。当時は真言密教の寺院と思われる。鎌倉時代に入りて、浄土の教えを説く。一遍上人の教えに従って現在に至る。天正年間、若栗城主・栗林義長公と下妻城主・多賀谷修理大夫との戦い中、栗林氏病死し、若栗城と共に七堂伽藍の諸堂宇も戦火により、全山ことごとく焼失す。
その後、今より430年前に野口豊前守の孫によって再建される。徳川時代に入り、谷田部領となる。城主細川公の代々帰依厚くし、特に三代細川興隆公仏門に入り、宗閑と号す。九州細川公本家、家宝の中将姫の作、六字名号 蓮糸織出。天神之像の二幅を念向寺に寄進する。中将姫の作、六字名号も多くの伝説在り。天神之像画も「管公帰る」の伝説在り。
中将姫は藤原家の出千三百年前の人なり。天神之像画は、ぞくに怒天神とも言われている。県の重要文化財に指定されている。(本堂再建記念碑より)

境内には樹齢数百年といわれる大銀杏があり、茨城の名木・巨樹の100選に選ばれています。
また、つくば牡丹園が隣にあり、五月の連休など花の見頃にはたくさんの人が訪れます。
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  本堂
念向寺本堂
 
  銀杏                         椎
念向寺銀杏念向寺椎の木
 
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