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取影山念仏院(取手市東)
念仏院はその名が示すとおり浄土宗のお寺である。ここには江戸時代の取手宿に花開いた利根川文化の代表的な国学者である沢近嶺の墓と歌碑がある。取手七福神のひとつである福禄寿を祀っている。
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 参道                          地蔵
取影山念仏院参道取影山念仏院の地蔵
 本堂
取影山念仏院本堂取影山念仏院本堂
 
 御本尊                        福禄寿
取影山念仏院御本尊取影山念仏院福禄寿
 
 護摩木山の由来碑
取影山念仏院にある護摩木山の由来碑護摩木山の由来
当山寺領護摩木山は昔から杉山であって、以前は長禅寺の所領であったが、当山が長禅寺の檀家の墓をたくさん預かっていた関係から世話料として譲渡を受けたもので、この杉林の杉から護摩札を作っていたといわれている。
八坂神社前の大通りを斜めに横切り本陣の裏坂を上り詰めると峠荘があった。この峠荘の真向かいに護摩木山の石塔と地蔵尊が祀ってあった。この土地の大半(役八十坪)は峠荘主人山本氏に預けてあったが、昭和二十四年ふたば保育園を創設するに当たり、この建設財源捻出のため該地を山本氏に売却し僅かに一坪を残すのみとなった。しかるにこの度、日本健康増進株式会社の建設に際し、工事進展のためには道路の拡張が必要条件となり、残部の譲渡方の交渉を受けたものである。当寺は役員会に諮った結果、その公共性に鑑み売却することに決定したものである。
真言密教の仰の由延深い護摩木山は新しい文化施設の玄関口として生まれ変わったので、その遺石を当山に移し保存するものである。(碑文より)
 
 澤 近嶺の歌碑
取影山念仏院にある澤近嶺の歌碑澤 近嶺 天明8年(1788)〜天保9年(1838)
本姓は谷沢。家は取手宿内で食料雑貨を販売する商家で屋号は油屋。代々与兵衛を称していた。20歳のとき、江戸で国学者村田春梅の弟子となる。後に取手に戻り、家業を営みながら学問や和歌に励む。天保8年(1837年)の取手宿の大火事で書き溜めていた原稿や収集した蔵書をすべて焼失。失意に沈むも唯一の著書「春夢独談」を執筆して、翌年8月22日死去。墓は念仏院にある。江戸時代の取手が生んだ唯一孤高の学者・文化人。(長禅寺の門前にある説明版より)
 
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