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光明寺(取手市桑原)
真言宗豊山派のお寺。光明寺は境内に南天の木が数多く植えられており、「南天の寺」とも呼ばれます。
当寺は長谷川伸作の「一本刀土俵入り」にゆかりの寺で境内には、原作者の都々逸の歌碑や「一本刀土俵入り」の主演をつとめた人間国宝である先代(17代)中村勘三郎丈の追慕碑もあります。
「一本刀土俵入り」といえば、1931年に歌舞伎として初演されて以来、新劇、新国劇をはじめ、浪曲など様々なジャンルにわたって上演され続けてきた名作で、水戸街道、利根川沿いの宿場町を舞台にした話ですが、取手はその舞台となったところです。
このほか光明寺には取手七福神のひとつである寿老人があります。
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 本堂
光明寺本堂以前は天保13年(1843年)に建立された本堂があったが平成に入ってから再建された。
 
 鐘撞き堂
光明寺撞き堂希望の鐘と名づけられている。
 
 寿老人
光明寺の寿老人取手七福神のひとつ
 
 長谷川伸の歌碑                       第17代中村勘三郎丈追慕碑
光明寺にある長谷川伸の歌碑光明寺にある中村勘三郎丈追慕碑
 
 一本刀土俵入りの碑
光明寺にある一本刀土俵入りの碑一本刀土俵入りの作者長谷川伸先生は利根川と、その周辺の宿場に住む人々を愛し、純真素朴な農村の人々との情に親しみ、取手の宿から旅足を進め、閑静なこの地方に立ち寄られたとの伝えです。時は大正5年(1916年)の春、当時は筆名を山野芋作と称し31歳でした。そして大正9年6月筆名を長谷川伸と改め、昭和6年5月戯曲「一本刀土俵入り」の名作を中央公論に発表(時47歳)義理と人情を盛り込んだ名作は、すぐに東京劇場で6代目尾上菊五郎が上演、つづいて新国劇の島田正吾、中村歌右衛門、尾上松緑、中村勘三郎などの名優により上演されました。次に「瞼の母」も名作でした。
昭和38年6月11日永眠行年79歳
昭和60年12月人間国宝中村勘三郎丈公演す
17代目中村勘三郎丈昭和63年4月16日歿78歳
(名作「一本刀土俵入り」との縁起伝の掲示板より)
 
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