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地蔵大菩薩・野仏(取手市岡:旧北相馬郡藤代町岡)
2つとも昭和53年に藤代町の文化財指定彫刻となっている。
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 地蔵大菩薩
地蔵大菩薩このおj地蔵さんは、舟形光背(249cm)、立像(170cm)からなり、相馬日記に「仏島となづけしは、かたえに地蔵の石像(いしのみかた)、または何くれの仏の石像たてればなり」と仏島の名のいわれがある。
建立は寛文6年(1666年)、順海、祐海、順永の各法印大僧都の名が刻まれる。
地蔵菩薩が特に子育てにご利益があるといわれることもあろうが、地蔵像は如意輪観音像と並んで目立って多い。その中でも、この光背をつけた地蔵は大きさも県下でも最たるものである。(説明板より)
 野仏
野仏名もない野仏である。舟形光背(78cm)、坐像(55cm)で藪に囲まれた岩屋のたたずまいである。
筑波山に「弁慶の七戻り」という箇所がある。岩屏風の支える屋根葺の巨岩が今にも落ちそう、さすがの弁慶も二の足・三の脚を踏んだという。この仏様の住まいもまさにその通り、地震はおろか、咳ひとつでも崩れそうなところに屈託無げにおはす。地蔵大菩薩の後ろにあるところから、裏地蔵とも呼ばれている。
刻字を辿ると、延命寺法印順海、延宝8年(1680年)とある。坐像は立像に遅れること14年である。
延命寺何々とは、ここが延命寺の所管で、坐像の後は丘の名残の一角であり、延命寺の住持の墓と思われるもの数基がある。
昭和8年までは丘であったといわれる。(説明板より)
 
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