旧取手本陣(取手市取手) |
本陣は街道における身分の高い武家の宿泊施設であった。江戸時代初期、取手宿は水戸街道が整備されると利根川の渡船場に隣接する重要な宿場となって発展し、現在の取手市の基礎となった。染野家は代々取手宿の名主であり、享保4年(1687年)に水戸徳川家より本陣を命ぜられた。現存する主屋は寛政6年(1794年)に焼失し、翌年直ちに復興したものである。大型民家のつくりであるが、式台玄関の上部には重厚な入母屋破風を設け、風格を保っている。
歌碑は、第9代水戸藩主徳川斉昭の読んだ歌で、江戸屋敷から届けられた。水戸徳川家と本陣染谷家の結びつきを示すものといえよう。(説明板より)
昭和62年から解体修理が始まり平成8年に全ての修理が完成し、現在に至っている。
敷地:2,405.51u |
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表門<外側> 表門<内側>
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表門仕様:一間薬医門、桟瓦葺、4.294u
文化2年(1805年)に建てられたが昭和53年に大風による倒木で大破したため一部を取り替えて再建されている。(配布資料より) |
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主屋
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主屋仕様:寄棟茅葺、桁行20m、梁間15m、面積337.645u
主屋のほぼ正面に堂々とした入母屋造りの玄関がある。玄関には本陣を利用する大名など身分の高い武士が駕籠を横付けして直接建物の中には入れるように式台がついている。(配布資料より) |
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式台玄関 土間から見た上がりはなの部屋
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上段の間 茶の間
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回り廊下 土間の天井の梁
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土間の石くど(かまど) 土蔵
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土蔵は18世紀末から19世紀はじめに建てられたと推定される。明治30年(1897年)に修理された事が梁の墨書きから分かっている。中は2室に区切られ南側は2階、北側は1階になっている。(配布資料より) |
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徳川斉昭の歌碑
歌碑仕様:自然石、高さ1.4m、幅:0.6m、厚さ0.4m
天保11年(1840年)正月、水戸へ帰国途中の水戸藩主徳川斉昭は、利根川を渡る船の中で歌を詠み、染野家で休憩している間に、その歌を袋戸へ貼り付けて出発した。
「さして行く 棹のとりての わたしふね 思う方ニハ とくつきにけり」
「行く末に さをもとり手の わたし船 わたれる世をハ あたにくらすな」
その後、水戸藩ではこの歌のうち前者を石に刻み、三年後の天保14年(1843年)、江戸から船で取手まで運んできた。実際に斉昭が詠んだ歌と比べると、文字の使い方や言葉が多少異なる部分もあるが、斉昭自筆のものをそのまま石に刻んだようである。(説明板より) |
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