当山は光明山傳教院本願寺と称し、応永3年(1396年)浄土宗中興の祖、了誉聖げい禅師の開創によるものである。禅師、常陸瓜連より江戸へ上る途中、一堂を建立したのが当寺である。その後天正年中、本多作左衛門重次この地に封ぜられるや当寺を菩提所と定め、二十石の供養料を寄す。
重次は慶長元年(1569年)7月16日、68歳にて没し、お墓は桜ヶ丘(台宿2丁目)にあり、茨城県の史跡指定になっている。
寺宝に本多作左衛門重次着用の具足類、家康公より拝領の金扇、金団扇などの遺品、開山上人が所持されていた夜泣き止めの鉦あり。
境内にある「一筆啓上」の碑は重次が陣中から家族に当てた日本一短い手紙文として知られ、文中お仙とは嫡子仙千代のことで、長じて成重と称し、福井の丸岡城主となった。(説明板より) |