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布施弁天[東海寺](柏市布施下)
弘仁14年(823年)、嵯峨天皇の時に紅竜山東海時として伽藍を建立。勅願所に指定されたといわれています。関東三弁天のひとつに数えられている。
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 楼門
布施弁天楼門楼門は文化7年(1810年)の創建で総欅入母屋造り、桟瓦葺き、三間三戸の山門です。二階の内部中央には須弥壇を設け、釈迦如来をまつってあります。
この楼門は従来のアーチ型無柱の伝統を破って、二柱を立て、通用部分を三区分してあります。これは当寺が勅願所で会ったことから本堂の四柱向拝にならい、中央部を正使が通り、両脇部を副使が通るようにしたためです。
建築の中心的役割を果たしたのは布施の藤十郎という大工棟梁でした。この人はおそらく寺大工であったと思われますが、当時このような重厚な建築のできる大工が、この地域にいたということは注目に値します。(説明版より)
楼門の左右には下で紹介する四天王が祭られています。
 
 広目天                          持国天
布施弁天楼門広目天布施弁天楼門持国天
 
 増長天                          多聞天
布施弁天楼門増長天布施弁天楼門多聞天
 
 本堂
布施弁天本堂柏市の北東、利根川を眼下に望む島状の高台にあり、浅草弁天山、江ノ島とともに関東三弁天のひとつに数えられています。
布施弁天縁起によると、大同2年(807年)7月7日の夜「紅竜が現れ島を築き」とあります。現在の亀甲状の丘が一帯の湖沼の中に一夜にしてでき、その奇瑞から信仰の場となりました。
弘仁14年(823年)、嵯峨天皇のときに紅竜山東海時として建立し、勅願所に指定されたといわれています。
現在の本堂は享保2年(1717年)の創建で正面5間側面6間の総朱塗、三方破風入母屋造りです。向拝に4柱を配して三区分してあるのは、正副勅使の上堂通路を区分するためです。
内部、外陣の天井の鏡板には狩野探舟の筆による竜が描かれています。また、内陣の天井には本堂建設に協力した84名の大名の紋章が描かれています。
現在の屋根は昭和46年から47年にかけて厚萱から銅板へ葺き替えられたものです。(説明版より)
 
 弁財天
布施弁天本堂の弁財天本堂内に安置された本尊である弁財天
 
 本堂壁に架かった絵馬
布施弁天本堂の絵馬布施弁天本堂の絵馬
 
 鐘楼
布施弁天鐘楼鐘楼は文化15年(1818年)の創建で総欅入母屋造り、銅板葺き、全容は多宝塔型です。八角形の石積み基壇のうえに円形に十二本の柱を立てた塔身があります。この十二本の柱上部に十二支の彫刻を配し方向を示しています。内部の天井は格組にし、中央には昭和33年鋳造の梵鐘が吊られています。
鐘楼の設計は茨城県筑波郡谷田部の名主飯塚伊賀七があたりました。伊賀七は「からくり伊賀」といわれ、木製大時計、五角堂のほか、数々の発明品を作ったと伝えられています。この鐘楼の設計図も飯塚家に現存しています。
多宝塔の建築法を鐘楼に応用したもので全国的にも珍しい建築様式とされています。(説明版より)
 
 三重塔
布施弁天の三重塔中には弁財天が祭られている。12年に一度(巳の年)に開帳される。
 
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