長禅寺(取手市取手) |
長禅寺は大鹿山長禅寺と称し、臨済宗妙心寺派の古刹で京都の妙心寺の末寺である。本尊は延命地蔵尊で、縁起によれば朱雀天皇の代の承平元年(931年)に平将門が勅願して創建したと伝えられている。
将門没後は御厨三郎吉秀というものがひそかに本尊を守り伝えてきたものの、荒廃が甚だしかったといわれている。承久元年(1219年)には義門和尚を開祖として再興が計られ、また吉秀29代後胤織部時平は文暦元年(1234年)に将門の守本尊で安阿弥(快慶)の作とされる十一面観音像を安置するために「四間四面御堂」を建立すると共に、寺の再興を計ったとも伝えられている。
創建当時は旧大鹿村(現在の白山地区)にあったが、江戸時代初めに水戸街道が整備されて取手宿が形成されると当地に移転した。慶安2年(1649年)に三代将軍徳川家光から朱印地五石三斗を賜って以来、徳川将軍から朱印地を賜っている。
また、長禅寺は観覚光音禅師(かんがくこうおんぜんじ)が開基した新四国相馬霊場八十八ヶ所(現在の取手市・我孫子市にまたがる札所)の発願・結願寺でもある。弘法大師の縁日(毎月21日)には大師講の信者を中心に多くの人で賑わう。
利根川に面した高台に位置する長禅寺は風光明媚なところで取手八景や茨城百景のひとつにも数えられている。境内にはこのほかにも、小林一茶の句碑や河童の絵で有名な小川芋銭(うせん)の碑、取手七福神の大黒天などがある。(説明板より) |
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山門 本堂
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三世堂
三世堂は織部時平公が文暦元年(1234年)に平将門公以来の守本尊である十一面観音像を安置するために観音堂を建立したことに始まる。現在の建物は宝暦13年(1763年)に当時の長禅寺住職幻堂和尚によって建てられたものである。
外層は二層だが内部は三層になっている。一層には守本尊である十一面観音像と坂東33ヶ所、二層には秩父34ヶ所、三層には西国33ヶ所の各観音霊場札所の本尊、合計100体の観音像が安置されている。順路に従って進めば途中で交差することなく一巡できるという「さざえ堂」形式になっている。三世堂の名称は縁起に「過去現在未来の三千仏を安置して三世堂と号し候」とあるところに由来している。
宝暦13年に建築されたものとすれば「さざえ堂」形式の堂の中では日本最古の建物となる。
昭和56年茨城県文化財に指定されている。(説明板より) |
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三世堂内部
創建文暦元年、再建宝暦十三年の文字が刻まれている。 |
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取手大師(霊山堂) 霊山堂内部
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大黒天 光音霊堂
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小林一茶の句碑
小川芋銭の筆による「下総の 四国廻りや 閑古鳥」の句が刻まれている。 |
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小川芋銭の碑と芋銭篆書による仏顔石奉安記念碑
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仏達
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