この鰐口は元和7年(1621年)11月当時の守谷の城主土岐内膳灰介頼行が荒廃していた愛宕神社の社殿を再興したとき、その過信の井上九左衛門、賀藤久太夫の両名が寄進したものである。
一般に鰐口はか金鼓などともいわれ、青銅、鉄などで造られ、それを神社や仏閣の社前堂前にある長押や梁につり、参拝者が全面に垂らしてある緒という布縄をとって叩きならす器物である。
ここの鰐口は青銅製で直径22cm、厚さ5cmの大きさで、両面の中央には蓮唐草文を鋳出し、そのまわりに何条かの圏線をめぐらしたものであり、寄進者や製造者の文字が刻まれている。(説明板より)
上記のように説明書きはあるものの、肝心の鰐口は社前には吊るされておらず、残念ながら拝見する事ができなかった。 |